(特集)彦根・小旅行「佐和山巡りの旅」
清涼寺〜龍潭寺〜井伊神社〜大洞弁財天〜佐和山 

「ひこね読本」2000/4/1発行より

 佐和山は、標高232.5mの小さな山である。佐和山といえば、やはり石田三成の居城した佐和山城がまず最初に浮かんでくるだろう。
 しかし、観光客の誰もが足を運ぶ彦根城とは対照的に、佐和山は訪れる人も少なくひっそりたたずんでいる。麓には、井伊家ゆかりの寺社も多い。
 そんな佐和山近辺を散歩してみることにした。 
 彦根駅から15分ほど歩きJRの踏切りを越えると、ちょっとした別世界の雰囲気が漂っている。
 車の音もせず、人影も余り見当たらない。
眼前には佐和山が大きくそびえ、左手には寺社が建ち並んでいるのが見える。


佐和山山頂から見た松原。
以前、佐和山はこの内湖に
美しくその姿を映していたの
だろうか?



清涼寺入り口

 その寺社の方に向かって歩を進めていくと、長林稲荷の赤い鳥居を過ぎる辺りから、お香の香りが道路にまで漂ってくる。まずは井伊家累代の菩提寺、清涼寺に入ってみた。
 井伊家が関ヶ原戦での戦死者の供養のために島左近(石田三成の臣)邸跡に建立されたと言われ、彦根城初代藩主直政が関ヶ原戦の傷が元で亡くなったため、この地を墓所とした。
 以来清涼寺として井伊家の菩提寺となり、また大老直弼が参禅修行した寺としても知られる。
 本堂左方のタブの樹は、島左近邸の頃のものと伝えられている。
地図はこちら→
 清涼寺を出ると、その直ぐ隣に龍潭寺(りょうたんじ)がある。石田三成公像を左に見ながら庭の方へと石畳を歩く。
 門をくぐると、しだれ桜がまず目に入る。
春にはさぞ綺麗だろう。
 また6月下旬には沙羅の花、紫陽花、夏にはムクゲが花開くと言う。
 境内には七福神も奉られており、これが何だか可愛らしい。


龍潭寺入り口


龍潭寺ふだらくの庭。砂の白と苔の線のコントラストが美しい。

 龍潭寺は「庭の寺」として有名である。方丈南庭(ふだらくの庭)は枯山水の石庭で、「ふだらく」とは観音菩薩の住所という意。
 一面の白砂の上に48箇の石が配されている。
 書院東庭(鶴亀蓬莱の池)は回遊式の庭。他に北庭(露地庭園)など、そこでずっとボーッとしていたくなる様な、心落ち着く庭だ。また、森川許六筆の方丈襖絵五十六枚や三成の遺品も見ごたえがあるだろう。
 本尊と楊柳観世音菩薩(平安初期作)は、毎月18日にだけ参拝することが出来る。
 遠い昔に思いを馳せつつ、龍潭寺を後にした。


龍潭寺鶴亀蓬莱の池。佐和山を借景したと云えられている。

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伊井神社の鳥井。奥に本堂が見える。

 それ程歩かないうちに、井伊神社の鳥居が見えてくる。
 井伊神社は1842年井伊直亮により創立され、井伊家の始祖共保を祀ってある。
 サクラやカエデなどの茂る参道は、夏は鬱蒼としているが冬は落葉して鳥居からでも神社の全貌を見る事が出来る。
 寺の右側には梅、橘、左手奥には大きなしだれ桜が生えている。
 社殿の様式は権現造で、彫刻や組物等から以前は豪華で立派だったのだろうと在りし日を偲ぶに止まる。
 観光ガイドブックなどを見ても、井伊神社を紹介したものは少ない。
 この辺りをよく散歩すると言うUさんは、「井伊神社は彦根城と同じ位価値のある神社なのに・・・。」と苦言を漏らす。
 確かにとりあげられる事は少ないのだが、私が井伊神社を訪れた日、ここに足を運ぶ人を数多く見かけた。
 ジョギングや犬の散歩ついでに訪れる近所の方々だ。
 草木の茂るこの神社は、入りやすい雰囲気があるのだろう。地元の人に親しまれている神社、という印象を受けた。
 井伊神社を過ぎると道は大きく二股に分かれ、左側の道の方に「大洞弁財天 長寿院」と書かれた大きな看板が立っている。
 道はここから緩やかな坂道になっており、竹薮の中を大洞弁財天に向かって上っていく。
 竹の葉が風に吹かれてサラサラと音を立て、それがまた心地よい。
 少し歩くと左手に経蔵(経を保管した蔵)があり、更に行くと視界が開けて松原を臨む事が出来る。


本堂と礼堂からなる弁財天堂に豊麗な弁財天像を安置することから、一般には「大洞弁財天」の名で親しまれている。

大洞弁財天本堂中。小規模ながら、華麗な彫刻が施され、装飾性に富んでおり、思わず目を見張ってしまう。

 そこから後2、3分も歩けば長寿院だ。
長寿院は4代藩主直興が厄除けと城を守る備えとして建立した藩寺で、直興が日光東照宮修営の総奉行をしていた関係から、日光造営にあたった大工達を招いて建築をさせたと言われている。
 この寺が「彦根日光」の別名を持つのはその為だろうか。
 境内には重厚な楼門や阿弥陀堂、弁財天堂、宝蔵が建ち並ぶ。
 楼門の向こうには彦根城が見えるのだが、その様はまるで楼門を額縁にした一枚の絵のようだった。
 本堂の後ろにまわると白蛇が宿るというヒノキとシイの神木がある。
 そこから更に鳥居をくぐって階段を上り奥へと進むと奥之院があり、その左手奥に「東山ハイキングコースB」の入り口が見える。
 ここから
佐和山を目指すことにした。
はっきりとした登山道があり、迷う事もないだろう。高木にはコナラやマツ、アラカシ、ヤマザクラなど、低木にはアオキ、ナンテン、ヒサカキなど、様々な植物と出会う事が出来る。
 春はヤマザクラ、それが終わるとヤマツツジ、5月中・下旬にはモチツツジ、と季節毎に姿を変えて、佐和山は私達を迎えてくれる。
 登山道を進んでいくと、まず弁天山のピークに達する。そこから更に行くと3つに分かれた分岐点と出会う。
 右は龍潭寺に続いており、左は鳥居本へ向かう登山道、そして真ん中が佐和山頂への登山道だ。 そのまま山頂へ向かうと道は一変竹薮に包まれ、ヤブツバキが姿を見せはじめる。
 冬はこのツバキの鮮やかな赤が目を引き、心を和ませてくれる。


伊井神社にある橘。
橘は彦根の市木だが、現在では市内ではこの一本だけとなったそうだ。


佐和山城の石垣だと思われる石。

 山頂にはソメイヨシノやイロハモミジの木が植えられ、本丸跡が残っている。春にはタンポポが一面黄色の絨毯のように咲いているそうだ。
 佐和山城は、鎌倉時代近江守護職佐々木氏により築城され、その後戦国時代には「難攻不落」の城と呼ばれていた。
 最後の城主となった石田三成が関ヶ原戦に敗れた事で、佐和山は戦国時代の悲劇の場所として歴史に残る山となった。
 関ヶ原戦の3日後、佐和山城は徳川方によって焼かれてしまったが、後に井伊直政が彦根城を築く際、石垣など全てを移転したと伝えられる。
 現在の佐和山には石垣だったと思われる石が2つ、残るばかりである。
 山頂を南の方へ歩いていくと、国道八号線の方へと続く登山道(東山ハイキングコースC)があり、そこを少し下ったところに「千貫井戸」と呼ばれる小さな池がある。
 石田時代の飲料水として用いられ、「銭千貫にもかえがたい水」という所からこう名付けられた。
 230mの標高で、水を確保するのは大変な事だったのであろう。
 再び山頂に戻る。山頂からは彦根城の天守閣と城下町、琵琶湖、荒神山などが一望できる。


佐和山山頂。
佐和山城跡の石碑が建っている。


山頂からの景色。右手に彦根城。
右奥手に琵琶湖。左奥手に
荒神山が見える。

  反対側には伊吹山の姿を臨む事も出来る。内湖が広がっていた当時、佐和山は湖に浮かぶ島のようだっただろう。湖面には、天守閣が映って見えたのかもしれない。
 私はこの取材のために何度か佐和山を訪れたが、その度に必ず何人かの人と山頂や登山道ですれ違った。皆、この山をどんな思いで登って来るのだろうか・・・? 歴史の山で物思いに耽るためかもしれないし、植物観察のためかもしれないし、美しい景色を眺めるためかもしれない。
 もしかしたら、2人で愛を語り合うためなのかもしれない。いずれにせよ、佐和山はそんな風にいろんな楽しみ方が出来る山だと思うし、やはり身近で親しみ深い山だと思った。
 もし、貴方が佐和山に登ることがあったなら、佐和山はその歴史と自然の香りで、いつも優しく貴方を包んでくれることだろう。 (柳川)
【参考:コースタイム】
[彦根駅]→15分→[清涼寺]→1分→[龍潭寺]→1分→[井伊神社]→8分→[大洞弁財天]→45分→[佐和山]→35分→[彦根駅] 

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